昭和40年01月10日 月次祭



 信心をさせて頂いて、身に徳を受けて、有難い一生を終わらせて頂く。そして、それが子孫にも残り、あの世にも持って行けるというような、おかげを頂くために信心のけいこをさせて頂くと。その信心のけいこをさせて頂くという事。信心のおかげを頂くという事は、信心のけいこをさせてもろうて、信心が自分のものになるという事。いうなら、神様に認めて頂けれる氏子になるという事。良い意味あいにおいて。神様に認めて頂くための信心がなされ,または工夫され、または精進されなければならない。
 どうでしょうか。工夫がなされておるでしょうか。そういう意味あいにおいての精進がなされておるでしょうか。その信心、その工夫と。それが神様に、ああでもなかろうか、こうでもなかろうかと、心を砕かせてもらう。ね。そういう在り方の中に、神様に認めて頂けれる信心が育ってくると私は思う。私が福岡で修行中の時分(じぶん)に、夜中にご神命を頂いてから、荒戸の教会にお参りをさせてもらい、それから、荒戸の初代の奥城(おくつき)が早良山(さわらやま)という所にございます。
 またそれから、半日、こ一里ございますでしょう。山の頂上にございます。そちらにお参りさせて頂く途中でございました。丁度、まだ朝でございます、朝方ですけれども、ネオンが、ネオンというかね、電気が点滅しておった。こうやって。ついたり、消えたり。そういたしましたら、神様がその電灯をさしてから、私に言うてくださった。『電気がああいうふうにして、消えたりついたり、消えたりついたり、こう点滅しておるとです、自然、ふっと、こう目がつく。ね。
 イルミネーションが、ぱっぱっと赤やら青やらに、こう変わっておる。だから人の目を引くようにです、ね、生きた働きというもの。私共が、いかに有難い、もったいないというような一念に、自分の心の中が一杯で、いわば、つきっぱなしについておるというような事は、なかなか出来ないに致しましてもです。もちろん付いたり消えたり、消えたりくらいのものではございましてもです、生き生きとしてです、ね。
 いわば有難いという一念に燃えておる時やら、相済まんの一念に燃えておる時やら、または、すがるという事において一生懸命、血道を上げておる時やら、さまざまな状態のときがありますけれども、赤に青に、または消えたりついたりというように、活動しておる時、人の目を引くように、ああいう状態のときに、神様の目にとまるのじゃ』という事を頂きました事がある。
 平生心と申しまして、いつも平生心でおれれる、平生でおれれるという事は有難い。けれどもそういう願ったり、詫びたりお礼を申し上げたりする中にです、私は頂くところの平生心、それが生き生きとして<活発に>活動を続けておる意味の信心ではなかろうかと私は思う。観念的に、信心とはこういうものだと、まあ分かっておるから、それで【 】の信心が出来ておるように、悟りすましたようなふうをしておるといったような、私は、信心は、実をいうたら有り得ないのではなかろうかと私は思う。ね。
 場合によっちゃあ、相済まん、場合によっちゃあ、なんとお礼を申し上げてよいやら分からんと。ね。そういう中に、そうした生き生きとした信心のけいこがなされる。そこに期せずして、自分が体得させてもらうものはです、信心のけいこの味わいであり、妙味なのでございます。信心の味わいなんです。三昧境(さんまいきょう)なのです。ね。私は信心が好きにならなければいけないと思う。そりゃ、生まれつき、教祖の神様なんかは信心が好きであったと仰る。
 私共も、小さいときから信心が好きであった。信心が好きであったと〔いうか〕、そういう雰囲気がたまらん、好きであった。それは、こちらにおりましても、一番、私が印象に残っておりますのは、私の母の里の麦生(むぎお)という所が、田主丸(たぬしまる)の【 】が山のふもとでございます。じじとばばが、ほそぼそと百姓をいたしておりました。叔父たちは釜山(ふさん)で酒屋をいたしておりましたから、もう百姓をせんならせんでも良いのだけれども。
 勿体無い、勿体無いで、山に行ったり、いわゆる、おじいさんとおばあさんが、その、二人でほそぼそ百姓をいたしておりました。もう、あちらに参りますと、じいのお話を頂くんですね。仏壇の引き出しに親鸞上人様の、真宗でございましたから、絵解(えとき)がございました。丁度、今の紙芝居のように大きな、親鸞上人様の絵解。それを出してきては、じいに説明を求め、話を〔ねだると〕、もう、じいがそれをねんごろに、一枚一枚、その話をしてくれる。
 もう小学校に行くころにはその絵のほとんどが、私がお話ができるくらいに覚えておった。先程お祭りに出て〔い〕こうと思うて、二階に時間を待たせて頂いております時にです【 】で皆そろうてから。何か丁度こうバサ、バサ、バサと音がする。どうしたんだろうか、雨が降り出したんだろうか。外はどうもみぞれかあられのようである。上がトタン屋根だもんですから(笑)カタ、カタ、カタ、カタ音がしてる訳なんです。
 ふっと私が何十年前の、いうなら五十年前のことを思い出させて頂いた。丁度、今頃ではなかったろうかと私は思う。確かに、私、おぼろげに感じることなんですけれども、昼もやはり、田主丸のちょっと手前に、森の中に大きなお寺がある。あれは何とか言いましたね。ああ常行寺(じょうぎょうじ)でしたね。私共は長年、総代を、じいがしとりました。お昼も<おきゃくそ様>がみえたというて、じいとばばがお説教を頂きに行って、そして私共が母と行っとりますもんですから。
 今度は母と私共を連れて、また、近所の人達も何人かだったと思います、もう、真っ暗の中を、しかも、ちょうど今日のように、みぞれまじりの寒い晩だった。そして、もうお寺さんが、田主丸の町を出てから、田舎道を通って、お寺さんに行く道にです、確かに、人間の高さくらいの棕櫚(しゅろ)の木があったようです。ね。もう、お寺さんはすぐそこ。私は母か、誰かにおんぶされて、通っておった。そして雨風が、やっぱこう、みぞれのようだったんでしょうね。
 その棕櫚の葉が、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、と鳴るんですね。雨で、みぞれで、風で。もうそれがですね、もうとにかく、もうたまらない印象に残っとります。そのことが。その時のお話が分かるよしもないのですけれどもです、おそらく眠ってしまったでしょうけれども、そのお話を聴聞に参ります、その道すがらの、そういう情景がです、もう私の心に、もういつも生々しく残っておるという事です。
 寒に入りますと、浄土宗のお寺さんでは寒修行が始まります。かんじた道を、たかぶくりを履かれたお坊さんたちが、何十人、カラコロやって、鐘をたたきながら、ながぁい、いわゆるながし念仏というのでしょうか、ながぁい節をつけた念仏を唱えながら、寒修行をして廻られます。それが、向こうの村から出てこられるのが聞こえるのです。ばばは、すぐお布施の用意をしてから、そこで、おもてに立って待ってるんです。ね。私が、おんぶされてから待っとるん〔です〕。
 もうそれがですそういう情景、状況というか雰囲気というものがもうたまらない、私の上に残っておるのですね。そういう宗教的なばばが、なにがしかのお布施を「寒いのに、ご苦労さまです」と言うてから、お坊様にお布施をさせて頂いておるのがですね。まあ、そういうような話は、もう本当に数限りなく、私の幼年時代の思い出の中にございます。それがみんな、その宗教的な、そうした雰囲気を持っておる。
 そういう中に育てられた。そして私がお道の信心を、いよいよ有難いものにさせて頂くところの、ひとつの基礎といったようなものは、その時分に培われたのじゃなかろうか、と自分で思うくらいでございます。ね。今はあんまり致しませんけれども、私共の子供の時分には、浄土宗のところは、「おじや」ち言うのがございます。真宗のところは、「おばんさん」というのがございました。もう子供も年寄りも、その丁度、折半したくらいに、この部落に浄土宗と真宗があるのですねえ。
 だから私共は浄土宗ですから、「おばんさん《おじや》」をいたします。そうすと、もう村中の年寄りも子供もみんな、およばれに晩に来るんですね。そういうときにこの二、三軒上のほうへ、井上アサノさんという方がおられました。「あさってのおばさん、あさってのおばさん」と言うておった。年に一回のそうした「おじや」の晩にです、おばさんがみえられますと私は必ずせがんで、聞かせてもろうたお話があるのです。「また総一ちゃんあのお話じゃろう」ち、言う前に言いよんなさいました。
 もう、それを聞くのが楽しみなんです。ね。いわゆる因縁話なのです。因縁話にです、いわばもう<いつかもんのみたいもんの>そういう話が聞きたい。また私が話を、年に一回のその話を私が楽しみに待っておる。もう来る年も、来る年も、それを、もうねんごろに、大人にするように、一時間ぐらい時間をかけて話してくださる。ねえ。ある六部(ろくぶ)さんが、ある一軒の宿屋に、宿を請(こ)うた。宿屋じゃない、普通の民家に。その心よう宿をとったのですね。
 その六部さんというのは、若い時に船守、船渡しをしておった。ある晩遅うに、その船を利用した旅人の人がです、たくさん金を持っておるという事を知ったわけなんですねえ。そして、その船から、川の中ほどに出たときに突き落として、金を取ったんですねえ。その事が、もう心の呵責に苦しんで、そして六部さんになってから、修行してまわって、ある一軒の家に、ある日、ある晩、宿をとらして頂いた。
 ところが夜中になったところがです、ねえ、小さい、そのお孫さんが、小さい、まあ六畳か何かの部屋でしょう、そこの人の家にやすんでます、一緒にやすんでおるところが、その小さい子がねえ、「おしっこにいく、おしっこにいく」と言うて泣き出した。ところが、向こうの〔人〕が疲れてやすんどられるもんですから、その六部さんが起き上がってから、その子供をだっこして、縁先におしっこをされだした。おぼろ月夜《おぼろ月》が出て、そして、何とも言えん、静かな夜だった。陰気な夜だった。
 おしっこをこうささげて、させて頂きよったら、その子供がね、六部さんを見ながら、「おじいさん、私があんたから殺されたのは、こういう晩じゃったね」ち〔言う〕。(笑)それがもう実に真に迫った話ぶりなんですね。もうそこの所は、こうしてから、こうやってお話を頂いてるんですね。うん。「おじいさん、あんたが私を殺したのは、こういう晩じゃった」と。ね。と言うて、例えば、そういうような話なんですね。
 そういうような因縁話が私は、大変、好きだった。いわゆる因縁の恐ろしさに身を震わせてから、子供ながらそのお話を、来る年も、来る年も、その「おじや」の晩に、そのおばさんから聞かせてもらった。ねえ。ハァー悪いことはしちゃあならん。悪いことをしたら、必ずその報いがくる。そういういわば、仏教的な、そういう考え方の中にですねえ、私は成長した。
 昨日、熊本から初めての方が、お参りをしてきた。午前中は門司と下関から親子でお参りになられた。中林さんという、大変熱心なご信者さん。お祖父さんも、息子さんも、ご本部のご用要員になっておられるくらいですから、推して知るべし。息子さんは本部の青年会の副委員長をしておられる。まあここにもお参りされましたけれども、実に、それはもうほんとに見事ですねえ。
 長年、いわばお道の信心によって洗練された親子。もう言われること、お届けをされること。もうこげな素晴らしいことが言えれて、どうしておかげが受けられんだろうかと思うぐらいに、その素晴らしい。もう私は聞き<ほ>れる程だった。ね。昨日も言うとられましたが、今どこどこ地方に、息子は講演に行っとります。お道のお話にまわっておると。と言われるくらいに有名なご信者さんなんだけれども、その人の息子さんの中に、目の見えない、生まれながらにして目の見えない人が生まれた。
 それこそ、さっきの因縁話じゃないですけれどもねえ、医者はもう駄目って言うんですねえ。けれどもまあ、十四、五にでもなられて、体力が、精力でもついたらです、手術されて、まあその時を楽しみに、という具合に匙(さじ)をなげて、慰め的にそう言われる。けれども、親としては、それがそういう訳にまいりません。何とかして開けて、目が見えるようにしてやりたいというのが親心。あらゆるあちらこちらの病院をまわったけれども、駄目であった。
 そんな事で、ここにご神縁を頂いてみえられたんです。その事をお願いされましたら、神様がすぐ開くと仰るです。お知らせに。お恵みの水の中につけとけば開くと、こう言うてくださる。だからこりゃ、一生懸命信心なさい。お恵みの、徳の水の中につけたら開くて。信心なさい。例えば、固いつぼみの切り花がです、水の中につけておけば、自然、開花をいたしますように、こりゃあおかげ頂きますよと。ね。まあこれが私が幼年時代のですたいね、あの因縁話が好きで、そういうような事だったら。
 こりゃあ御霊様のたたりといった事になっとったかもしれませんですね。けれども、段々、信心が好きであり、信心のけいこが、段々させて頂くようになり、成程十四、五年前には、御霊さんのことなんかでも、いちいち頂かせてもらうようになり、最近ではそういうような事はないですけれども、ここに焦点をしぼらせて頂けば、一切が助かっていけれる、あの世にも持って行けれる、この世にも残しておけれる。
 神様に認めて頂くというのは、こういうような事だというのが、段々、分からせて頂けれるようにならして頂いた。そういう気持ちで、私がお取次させて頂くから、因縁話をせんでも、おかげを頂くようになった。それから何回もお参りになられました。ところがある時に、医者が言われるのにです、もう、いちかばちか、一遍手術してみますか、とこう言われる。けれどもその、目が見えるようになるという請け負いは出来ないけれども。あなたがた親御さんたちの切なる。
 その願いに応えてです、片一方だけ、あんばいにしてみようと。電話でお届けがあった。私が、どうでもするようにあるから、そんならしかたがないから、神様にお願いしてから、させてもらわなと。何月なんちの日。ところが、何月なんちの日が、いつもお医者さんがその、何かつかえができて出来ない。看護婦さんにつかえができて出来ない。何か病院に事情が、もうとにかく、三回か、四回かそういう事を繰り返した。
 四、五回目であった。丁度、久富先生が、今日私が聞いたら、久富先生だったそうですが、久富先生が電話を受けられた。「いよいよ今日、手術をするようになりましたから、よろしくお願いします」と。それで、久富先生が「けれども、おたくの場合は、もう何回も何回も、そのいわば、神様が、もう手術はいらんぞ、と仰ってくださるように、神様の声を聞くように思うですから、なさらんほうが良うかないですか」と言うてから、お取次させて頂いたんだけれども。
 「もう向こうも準備できておるから、とにかくお願いをしといてください」「そんならお願いをしましょう」と言うて、まあ、その日、手術があったん〔です〕。とうとう、失明してしまった。それから一ケ月ぐらいしてからですね、参ってみえられたんですよ。ところが、オモチャなんかをこうやって、向こうにやるとですね、そのオモチャへ向かって這って、「ありゃ、この人は少しは見えるごとなったんじゃろか」と言うて。片一方の目が。手術しないほうの目が。
 昨日、みえた時なんかはもう、片一方の目で不自由せんだけに、おかげを頂くようになっておる。「もう先生、あん時に、親先生まかせになっときゃあ、両方の目がおかげ頂いとったのですけれども」と言うて、悔やまれました。「もう、片一方でもおかげ頂きよんなら、有難いことじゃないですか」と。ね。信心させて頂くなら、先ずねえ信心をさせて頂くならば、先ず先ず疑いの雲を払わなければいけません。いわば、疑いの雲が払われるだけの、信心が、修行がなされなければいけません。ね。
 半信半疑。神様を信じてはござる。長年の信心です。けれども、いよいよの時は、半分は信じきらんけん、半分に目んたまがなったち。(笑)ねえ。おかげも半分ということになったわけ。今朝の御理解の中にですねえ、[恋の極楽、情けの地獄、ままよ捨て身のこのからだ]と。どどいつの文句なんですけれども、そういうような事から、御理解を頂いた。みんなが「恋の極楽」のほうだけには、神様まかせになるのだけれども。
 「情けの地獄」のほうになってくると躊躇する。二の足を踏むいわゆる「ままよ捨て身」という事になりきらん。惚れようが足らんからという事なのです。なぜ惚れようが足りんか。信心不足だからけいこ不足だから、という事になるのです。本気で皆さん、けいこをしてごらんなさいて。ね。例えば、三味線のけいこをさせてもらうでもです、ねえ、調子でも、自分で合うようになりますと、段々、おもしろみも出てくる。
 ねえ。段々、例えば、長唄なら長唄のような、難しい曲なんかがこなせるようになりますと、もうそれこそ、この膝(ひざ)をばちで青じむくらいに修行させられても、楽しゅうなってくる。弾く自分の三味線の音色に、自分で聞きほれ、聞きとれてから、楽しゅうなってくる。ねえ。私は信心が好きになれないと。ただ、おかげを頂くけんで、お参りをするのではなくてで〔す〕、信心のけいこの出来ることを楽しみに、信心をさせて頂くという信心にならなければ、私はいけないと思う。
 ねえ。信心が好きにならなければいけない。私共は、それは幸いにです、私の子供のころから、信心が好きであったと。信心というほどしのことじゃないけれども、何とは無しに、そういうひとつの雰囲気が、私は好きであったと。ね。ですから、誰でも初めから、信心を好きで信心をする人は、ごく少ないのですけれども、お話を頂くことが好きになり、お話を頂いたら、自分のものにしていく事が楽しみになり、ねえ。
 自分の心の中に、今までかつて覚えたことのない所の、有難いというものが頂けるようになる事が、いよいよ楽しみになる。そういうような、私は、信心に進ませて頂いて、初めて神様に認められるような信心が出来るのじゃあなかろうかとこう思うのです。ねえ。お話でも頂くなら、もう出きるだけ、前に出てこなければ。せっかく御祈念させて頂くなら、もうここへ出てこにゃあいけん。こりゃまあ私の流儀なんです。もう神様に認めてもらいたい。いつも、このへんがあくんですね。
 どういう訳かしらん。一番大事なところがあく。ねえ。 もうそれこそ、後から来て、私は来てから、(笑)来てもいいんですよ。あいてるところへ。ねえ。出きるだけ早うお参りしなければ、自分の座がなくなるからというて、だから、早う参ってくるというぐらいな、私は、信心がなされなきゃあいけないと思う。ねえ。もう出きるだけ、すみのほうから。もう寝むったっち、先生から分からんごたる。これじゃあ認められるはずがありません。ねえ。出きるだけ、先生の顔の見えるところ。ね。
 もちろん先生から認められたって、たいしたことないでしょうけれどもです、それが神様に認められるという事につながっておるとするならば、有難いことですもんね。親先生が喜びなさるような信心。これはやっぱり同じことでしょう。ね。私が、神様に通うておるならば、もし認められておるならばです、神様に通うておるならば、私が喜ぶということは、そのまま神様に喜んで頂けれることであり、認めて頂けるということになるんじゃないでしょうか。ねえ。
 今朝から正月から初めてだったんでしょうか、久留米の井上さんがお参りになられました。井上みね子さん。初夢にお芝居をみせて頂いとります。『もうそれが、千両役者ち言うのはこれだろうと。もう実に素晴らしいお芝居であった。段々お芝居が進んでまいりましたらしばらくして、見知らん人が私の側にみえられましてから。「井上さん、今度、福岡劇場でこの芝居がうたれるのです。あるのです。その時にあなたも一役かって出てください」という事であった。私は踊りも踊ったことがないとに。
 ね。それでもよいから、今度の福岡劇場に出演してください、と言うて頼みにみえたところで目が覚めた』と。ね。桂先生が御本部の御造営を思いたたれる時に、九州全土に、一大ごひれいを願われた。そして、桂松平について踊るものはついて来い、と言うて、桂松平について踊れという、いわば、九州中に号令をかけられた。ときに、桂先生のそうした御教導のもとにです、先生について踊られた人がみんな、お徳を受けられた。甘木の初代においてしかり、久留米の石橋先生においてしかりであった。ね。
 今年は椛目の、いよいよ十五年の記念のお祭りである。同時に、お広前移転の話が出ておる。教会設立の話も出ておる。いよいよ、容易ならぬ年に椛目のお広前が突入したという感じである。元旦に、私が頂きますことが、『椛目の曙』ということを頂いた。ねえ。みね子さんのそれじゃないけれども、ほんとに椛目が、例えばです、椛目の信心が素晴らしかと。といわば、観客席から眺めておるだけではなくてです。
 一役かって出らせて頂くような、私は、お年柄に、皆さん、ならなければいけんのじゃあないだろうかと思うです。ねえ。そして私は、こういう時でなからなければ、神様に認めて頂けれる、いわば、機会がまたと、いつもあるものではないという気がいたします。ねえ。ためにはです、人に認められるよりもです、神様に認められるという信心。今朝の御理解を、一部、申しますんです。小法、中法、大(たい)法ということを頂いた。ね。小法ということは、義理人情の世界でしょう。ね。
 お金を借ったら、お金を払わんならん。利あげをせなきゃならん。もし、利あげが出来んなら、ことわりに行くのが、これが普通の世間一般の、まあ、あの人は行き届いた人、という事になるのである。中法というのは、国の掟を守るということである。ね。それも大事。これも大事。ところが、それが出来たからというて、しかし、幸せになるという事はないという事である。
 大法というのは、大きな法というのは、天地の大法である。天地の道理を体得させてもらい、天地の法則を分からせてもらい、しかもその法則に<のっとった>法則にそうたところの信心をさせてもらうという事。天地の大法の中には、お互いが今まで知らなかったような事柄がたくさんある。そんな事で良いだろうかというような事がある。ねえけれどもそこんところがです、先程申しますように「恋の極楽、情けの地獄」じゃないけれども、「ままよ捨て身の」という事になってこなければ分からないのである。
 天地の大法にもとづいて、おかげを頂かせて頂いたら、ね、神様が認められるところにならせて頂いたら、いわば、小法も成就すれば、中法も成就してくるようなおかげが頂けれるのである。本当いうたら、教祖の神様のように、教祖の神様なんかは、生まれつき実意丁寧な方でおありになったということですから、ね。小法も中法も、十分になされた上の大法であったですね。もう、勤勉というか、実意丁寧というのは、もうこれより以上の事は出きまいというような実意をもって。
 世間づきあいをなさったんですねえ。一般づきあいを。例えば、国法を、国の掟を守られるということなんかでもです、例えば、税金が米一俵でよいというのに、わざわざ二俵もっておいでられたという。これだけたくさん出来たのですから、やっぱり御上(おかみ)に、お供えしなければ、おさめなければ相済まんというような事であった。ところが、お互いがそこが出来ていない。
 できるだけ税金な、ごまかそうと。ねえ。そりゃあ誰だって、やはり隣近所のつきあいなんかでも、したいのだけれどもです、ね、さあ、実際は出来ない場合があるのです。ね。例えば、お金を借りて、払わしてもらうといったような事でもそうです。払おうと思うけれども払えれない。あの人は横着な人だと。と、例えば、言われるような場合にあってもです、言われてもしかたがないのである。
 だから、そこん所だけに焦点を置かずにです、もうそこは、笑われるなら笑われるなり、悪口言われるなら、悪口言われるなりに、いよいよ信心のけいこをさせて頂いて、自然の大法を身につけて、神様のお認めを頂かせてもらい、徳を受けさせて頂いて、その小法が中法が成就していくといったような人が、だいたい多いのじゃないだろうかと。私共もそれであった。ね。
 ですから、だれかれが何と言うても、神様の仰せには背かれんというほどに、神様と私との仲がです、密接に、段々、なっていっておったという事です。それは、私が信心が好きであった。信心のけいこの味わいが出来てきておったから、それが出来たと私は思う。ねえ。昨日、熊本からお参りしてきた方なんです。こっちはもう、胃ガンの疑いでですね、まあ、分からない。
 けれども、確かに重体に陥られたから、手術をしてみると言うですね。二度、電話がかかってきた。もう二度目には、いよいよ時間の問題というようになってきた。とにかく、古賀さんの従姉妹さんの村上さんという方が、「とにかく、助けてください」というお届けであった。「神様が承知した」というような意味の事を、電話でご返事くださった。おかげを頂いてから、医者がたまがるようにおかげを頂いた。退院のおかげを頂いた。そこでご主人が、昨日、お礼に出てみえたんです。ね。
 なかなか素直な方である。話を聞いておると、なんか創価学会の話も一通り、聞いておられるようである。お母さんは、有名な生長の家のご信者さんらしい。自分は信心がないと言われるけれども、言われることは、なかなか、その、ま、天理教的なところもある。家内がああして病気をさせて頂いたのは、ねえ、なになにか様が言わっしゃったんでしょう。お母さんの御霊(みたま)がすがっておるちゅう事なんだと。
 お母さんが亡くなり際に、小さい子供さんを残していくのが、非常に心残りで亡くなられたから、お母さんがすがってきてござると。それでもう早速、お仏壇をきれいにお掃除をしたと。それでも治らん。そこで今度は、まあ、いろいろ天理教的な話を聞かれたんじゃないでしょうかね。どっか詰まっておるけんで、そのやっぱいかんと。
 出さないかんち言われたけん、それからもう、勝手のほうのお掃除をきちんとしてから、炊事場の流しの中に、いっぱい野菜やらが詰まっとった。それをきれいにお掃除してから、水がどんどん吐くようになったけれども、やっぱりおかげを頂かなかった。結局そして入院ということになってしまった。そこで椛目にご縁を頂かれて、おかげを頂かれた訳なのですね。そういう素直な方ですからですね、昨日、私の話も大変難しい話をさせて頂いたけれども、それが分かってくださる。それで私は申しました。ね。
 お道の信心はね、成程、御霊様も大事にしなければいけませんよと。先祖も大事にしなければいけませんよと。成程、勝手のほうに、食物なんかがお粗末にならんように心掛けることも大事ですよと。けれどもね、御霊様も助かってもらわんならん、喜んでもらわんならんけれどもね、御霊様よりもっともっと大きい御霊があるんですよ。大神霊(だいしんれい)というのがありますよと。天地の、それを私共は呼んで、親神様というのですよと。天地金乃神というのですよと。
 その天地金乃神様の大御心(おおみこころ)に添い奉るという在り方にならせて頂いたら、先祖の御霊も助かるでしょう、子孫に残るものも出きるでしょう、あなた自身も助かることが出きるのですよと言うたら、もう目をみはって聞かれるんですよ、その話を。もう素晴らしい、御霊だけ助けりゃよかかと思うとった。詰まっとるとこ〔ろ〕ば、こうやってはずすのが、信心のように思うておった。ねえ。
 ところがです、天地の親神様、大心霊。小さい霊じゃあない。その大心霊の心に添うような在り方にならせて頂けばです、子孫も助かるのである。先祖も助かるのである。自分自身がなおさら助かるのである。いよいよ神様の認められるというのは、そういうようなこと。一緒にお食事させて頂いた。私が申しました。あなたは、お醤油をバババァーと、お漬物にかけられた。そして頂かれるかと思うたら、そのまま、すっと下げられた。私は横で、それを取ってから、頂きたいぐらいに思ったんだけれどもです。
 本当を言うならばです、流しの掃除をするよりも、そういうお醤油を無駄な、お粗末な使い方をしないで、ね、心掛けて、初めから少しばっかりかけて。例えば、皿ばこうやって、ねぶれとは、私は言いやせん。ねえ。けれども、それをお粗末にしないという事。天地の親神様が人間氏子のために造り与えてくださったお食物をお粗末にしないという事だけでも、神様の心に叶うことなのですから、そういう事を進めていき、そういう信心を日常生活の上に頂かせて頂くという事が、お道の信心なんですよと。
 「ハァー、先生、もう、それはもう分かりました。家内が申します。あなたのところには、お祖父ちゃんも、お父さんも、あなたでも、お醤油をあんまりお粗末にする。と、いつも家内から言われるのだけれども、それに気がつかなかった」と言われる。ね。一事が万事にそれなんだと、お道の信心は。こげな事しちゃあ、いわばね、詰まっとるとば抜いたら、例えば、おかげ頂くとか、ね。御霊さんば、お仏壇を掃除させて頂いたら、お花をきれいにあげさせて頂いたら、成程、気持ちはいい。
 御霊様も喜びなさるだろうと。だから、それで病気が治るといったような事ならば、ちっとおかしい。金光様のご信心は、成程、きれいにもしなければならない、先祖も大事にしなければならんけれども、より、より大事にしなければならないのは、天地の親神様の心に添い奉ろうとする、その心を大事にしなければいけないのですと。ね。そこに今日、私が一貫して申しました、神様に認められるということ。ねえ。その認められるということが、そういう日常信心の生活が、神様に認められ。
 または、ここぞ天地の親神様の、これが悲願であろうかというような悲願にこたえ奉って、ねえ、小法やら中法やら、先ず捨ておいて、人が何と言うてもです、大法に向かって進ませて頂くというような信心。今までは観客席におったのが、舞台に出てから、いわば親先生について踊らせて頂こうというような信心。これなら私は絶対、認められると私は思う。同時に信心が好きにならなければならない。そういうたっちゃ、好きにはなれない。けいこせんから好きになれない。ね。
 信心をもってしなければ、人間、真実幸せにはなれないという事が分かったら、その信心を自分のものにするためのけいこがなされずして、どうして信心が自分のものになるですか。おかげは自分のものになっても、信心は自分のものにならない。ね。信心が自分のものになるための精進が、修行が、いわば工夫がなされていく所にです、いわば勉強のし道が分かって勉強がおもしろうなるように、信心のし道がわからせて頂いて、初めて信心がです、有難く、これは自分の心に直(じか)に頂くことなのだから。
 信心が段々自分のものになればなるほどに、もったいない、有難い、相済まんというような心が、いよいよ大きくなってくるのですから。ね。ほんとに皆さん、今私が申しました、さまざまな神様に認められる法ということ、今日は。ね。神様に認められなければです、例えば、人だけに認められたって駄目。人徳のある人がありますけれども、神徳を得ない人は、一生貧乏で、または病気で過ごさなければなりません
 。あの人は仏様のような人じゃ、神様のような人じゃと言われても、不幸せであればしかたないでしょう。金に難儀をしとってはならんでしょう。ねえ。ですから、これも大事だけれども、場合によっては、これもおいて、人から認められるという事は、先ず置いておいてです、神様に認められるという事に、一生懸命にならせて頂いて、そして後に、人にも認められるところのおかげを頂かせてもろうたら有難い。
 これはまあ、私が一番その上に出る。教祖の神様のは反対。下の方から、本当に小法、中法、大法を身につけておいでられた。私の場合は、ここがだらしがないもんだから、小法、とにかく信心しとって、あげなことでよかじゃろうかといったような事であったと。けれども、段々、大法が分からせてもらい、大法に添わせて頂くことに、楽しみを感じさせてもらい、分からせて頂くようにならせて頂いたら、借金払いも出きるようになった、人にも認められるようにもなった。
 成程、信心ちゃあ有難いもんだというような事がです、皆さんにも分かって頂くようになったんですから。もうほとんどの人が、私はこれじゃあなかろうかとこう思うのですよね。今年はそういう意味あいにおいて、<私は、今日の朝、井上さんが>ほんとに素晴らしい。神様の知らせは素晴らしい、表現がすばらしい。そういう意味あいにおいてから、いろいろお夢を、皆さんが頂いておられますから、お夢のねえ
 発表をさせて頂こうかと思ったんですけれども、皆さんが頂いとられることですから、ね。それは皆さんが、めいめいに頂かなければならんことですから、そういう例えば、神様に頂かれたようなことを土台にして、先ず神様に、今年は認めて頂けれる年柄にならせて頂こうという精進が、工夫がひとつなされて、
   (以下テープ切れ)